
皆様は、日本の伝統芸能である「能楽」をご覧になったことはありますでしょうか。
能楽は現存する芸能として世界最古とされ、その起源は約1300年前の奈良時代にさかのぼります。始まりは聖徳太子が大陸から芸人を招いたことにあり、その後、貴族や神社仏閣の庇護を受け、かの世阿弥の時代に大成しました。
約700年の歴史を持つこの芸能は、現代人には敷居が高く感じられがちです。理由として言葉の壁がしばしば挙げられますが、それがすべてではありません。言葉がわからなくても楽しめる芸術は多く、逆に理解しても全てを味わい尽くせるわけではないのです。
私は能楽鑑賞を美術鑑賞になぞらえます。絵画や彫刻は動かずとも、鑑賞者の経験や心理に基づき独自の物語を生みます。現代的な舞台芸術が舞台上から強い情報を与えて観客の心理を上書きするのに対し、能楽は鑑賞者自身の共鳴作用を引き出します。もともとシルクロードを通じて各国の文化が混ざり合った能楽は、特定の時代や国に縛られないように作られており、必ずしも日本をイメージする必要はありません。たとえば『猩々(しょうしょう)』は本来中国の揚子江が舞台ですが、私は沖縄の海を思い浮かべます。『杜若(かきつばた)』は愛知県三河が舞台ですが、その恋愛の濃密さからイタリア・フィレンツェを感じることもあります。このように舞台と感受性をシンクロさせることで初めて得られるカタルシス──それが能楽の魅力です。
なぜこのような芸能が生まれたのでしょうか。それは、室町時代以前から続く日本の風土と深く関係していると考えられます。災害大国であり島国である日本では、有事に見舞われても簡単に住処を変えることができず、精神を落ち着けるために「目に見えない存在」を意識する心理的土壌が育まれました。現代でも行われる修正会*1では鬼の面をかぶり、目に見えない厄災と対峙します。科学知識の乏しかった当時、人々はこれによって翌年の平穏を祈り、安心を得ていました。このように、鑑賞者の共鳴をもって成り立つのが神事芸能なのです。
*1 修正会:仏教寺院で正月に行われる、新年の安泰・五穀豊穣・人々の幸福を祈る法会。
では、科学技術が発達した現代では神事芸能は不要なのでしょうか。私は、むしろ科学が発展したからこそ、その必要性は高まっていると考えます。能楽が大きく発展した時代には共通点があります。それは「社会的不安定」です。安土桃山時代には全国の武将が能を好みました。いつ命を落とすかわからない戦場において、武将は亡霊の演目を観ることで死後の救済を信じ、死の恐怖を克服していたのです。高度経済成長期にも財界人が能楽を嗜みました。敗戦を経験した世代は滅びを感じており、無常観を持つことで逆に経済を力強く牽引しました。日本の発展は、しばしば「滅び」を意識した時にこそ強い意志を生むのです。現代の多くのエンターテインメントは欧米由来で、勝利者の感情で上書きし滅びの恐怖を麻痺させる傾向がありますが、日本人は危うさに共感し、有事に備える理性的な国民性を今も持ち続けていると感じます。

楽師同士にも共鳴があります。それが「呼吸を読む」ことです。日本の伝統芸能や音楽には、西洋音楽のような楽譜がなく、詠唱の言葉で音を再現します。能楽には指揮者はおらず、呼吸の間を共有し相手の意図を読み取ります。この呼吸を合わせる文化は、武道にも通じます。たとえば合気道や柔術では、相手の呼吸や重心の移動を感じ取り、その流れを利用して技をかけます。力で押し合うのではなく、呼吸と間合いの調和によって主導権を握るという点で、能楽の呼吸の合わせ方と共通しています。
舞台の上でも、呼吸が合えば最小限の合図で大きな一体感を生み出せるのです。この文化的背景には、日本語の特性と風土があります。母音と子音で構成される日本語は、母音部分が言葉同士の間となり、呼吸を感じやすくします。そして、日本は弥生時代以降、稲作を中心とする農耕民族として発展しました。稲作は共同作業であり、田植えや収穫の際には呼吸や動作のリズムを揃える必要があります。田植え機のない時代、人々は歌や太鼓の音に合わせ、一定の間合いを保って作業をしました。
この中から能楽の源流「田楽」も生まれました。『月次風俗図屏風』にも、打楽器の音に合わせて仮面をつけ舞う様子が描かれています。一見すると祭りのようですが、実際は作業効率を高める合理的な方法でもありました。つまり、呼吸の共鳴は農耕社会の協調性と深く結びつき、芸能や武道にまで受け継がれた、日本ならではの身体文化なのです。
能楽は人や環境との感覚的なつながりを重視します。プロだけの鑑賞芸能と思われがちですが、本来は体験を通じて物語を知り、自分の身体を知る芸能です。安土桃山時代の大名・細川幽斎は、能楽を嗜む15の利点を『謡曲十五徳』に記しました。「旅をせず名所を知れる」「戦場に行かず戦場を知れる」「酒がなくても憂さを晴らせる」「祈らずとも神徳を得る」など、多岐にわたります。能楽は一方向の舞台鑑賞ではなく、人と人、心と身体をつなげる役割を担ってきました。
それは現代でも変わりません。近年では健康やメンタルケアの観点からも注目され、呼吸法や姿勢改善、集中力向上に役立つとして企業研修や教育現場にも取り入れられています。
ゆったりとした所作や腹式呼吸は副交感神経を優位にし、日常生活のストレス緩和にも効果があります。
また、国際交流の場では日本文化の象徴として高い評価を受けています。能舞台での交流イベントやワークショップは、言語を超えて参加者同士を結びつけ、異文化理解の促進にもつながります。デジタル時代にあっても、人間の身体感覚や直接のコミュニケーションを基盤とする芸能は、むしろ価値を増しているといえるでしょう。世界が近くなった今、自国のアイデンティティを知り体験することが、他国の文化への理解を深めます。真の文化的共鳴とは、「彼を知り己を知り」「過去を知り今を知る」ことから生まれるのではないでしょうか。

能『小鍛冶』
1986年東京生まれ。宝生流第19代宗家・宝生英照の長男。能『西王母』子方にて初舞台を踏み2008年に宝生流第20代宗家を継承。復曲・新作能にも積極的に取り組み、『復活のキリスト』創作主演や、東京スカイツリー5周年記念『能×VJ』演出・主演など、伝統と革新を融合させた活動を展開している。2024年Disney+配信のドラマ『SHOGUN将軍』では劇中能の監修・制作を行う。また同年より、週刊少年サンデー連載マンガ『シテの花 ─能楽師・葉賀琥太朗の咲き方─』の監修も務めている。
