須藤玲子の作例をとおして
テキスタイルはカーペットやカーテン、ソファー、クッションやベッドカバーなどに使用され、室内空間をさまざまな質感や色、模様によって装飾する役割を担わされてきた。このような場合、テキスタイルは既存の空間に従属する存在とみなされ、装飾芸術、あるいはデザインとしてカテゴライズされる。近年ではレム・コールハースのパートナー、ペトラ・ブレイスによる、空間の形や印象をユニークな加工やプリントのカーテンやカーペットで変化させる仕事が印象深い。
いっぽう、1960年代に欧米で確立した「ファイバーアート」は、壁という建築構造に依存しない立体的、彫刻的な形式、つまり自立した存在になったことで、タペストリーに代表される平面的なテキスタイル芸術と一線を画すことになった。例えばポーランドを代表するアーティスト、マグダレーナ・アバカノヴィッチによる馬の毛やウールで織り上げた巨大な「アバカン」と名付けられた作品群がその代表的なものだ。この「彫刻的」というところがポイントで、「ファイバーアート」は木材や石、金属といったハードな素材が使われることが慣例だった「彫刻」というジャンルに繊維というソフトな素材による立体を参入させたことでファインアートのサブジャンルとしてみなされるようになった。もちろん、テキスタイルがファインアートに組み入れられたのは、上記だけが理由ではない。テキスタイルを実用のためでなく、自己表現の手段として織ったり、縫ったり、染めたりするアーティストが増えたのも大きな原因のひとつである。
テキスタイルとファインアートの関係は現代アートの分野で今もっとも注目されている議論のひとつだが、紙面が限られているのでここでは深入りしない。
興味深いことに、須藤玲子、そして彼女が率いるNUNOは、独立した「彫刻」作品として作品を製作したことはなく、むしろ空間に対して従属的にも自立的にもなる「テキスタイルの曖昧さ」という特徴を公共空間や展示空間で提示してきた。
この曖昧さがもっとも顕著なかたちで現れたのが、2023年11月から12月にかけて丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)で開催された「須藤玲子:NUNOの布ができるまで」展のために製作された《ビッグパステルドローイング》(2023年)だったように思う。本展は筆者が勤務する香港のCentre for Heritage, Arts and Textile(CHAT)で2019年の秋に開催され、その後イギリス、スイスでの巡回を経て日本に凱旋を果たした。
MIMOCAでの展示に際し、須藤は谷口吉生設計の美術館の建物と、猪熊弦一郎の両方にオマージュを捧げた新作を発表した。丸亀駅を出てすぐに現れるMIMOCA正面の広場空間(ゲートプラザと呼ばれている)の奥には、猪熊弦一郎による壁画《創造の広場》(1991年)が設置されている。この壁画の前面にある張り出し部分の天井から、須藤は幅18.9m、高さ9.6mの巨大なカーテン《ビッグパステルドローイング》を設置した。
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須藤玲子《ビッグパステルドローイング》2023年、撮影:高橋マナミ、写真提供:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
このカーテンのテキスタイルは、半透明の白いポリエステルの布に、須藤の手描きの円の連続パターンがフロック加工であしらわれているデザインで、カーテンのサイズは巨大なものの、布自体が半透明なので、際立った存在感を示すことがない。
試行錯誤の上に無事設置されると、この巨大なカーテンは広場の中の空気の動きに反応して、波のようにゆっくりと大きく動き出した。
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須藤玲子《ビッグパステルドローイング》(部分)2023年、
撮影:高橋マナミ、写真提供:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
カーテンが大きく翻ると、カーテンの後ろにある猪熊の壁画が見え隠れする。そして広場の中からカーテンを見ると、円の連続パターンがあたかも青空に描かれたドローイングのようにうかびあがる。
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須藤玲子《ビッグパステルドローイング》(部分)2023年、
撮影:高橋マナミ、写真提供:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
美術館建築の一部になったカーテンは、建物に吹き付ける風の強さによって大小さまざまな有機的な振れ幅の動きを見せるので、あたかも建築が呼吸をしているかのような効果を生んだ。そして、この展示は、目に見えない風の動きをテキスタイルが可視化しながら、テキスタイルの素材独特の柔らかなふるまいの美しさを示すことができたのであった。本作は、周囲の環境になじみながらも、自然の力によってその存在力を現すという、裏方であり主役にもなりうるテキスタイルの空間への介入のありかたを強く印象付けるものであった。(そしてそのことは、屋外用としては常軌を逸した幅18.9m、高さ9.6mというサイズによって成し遂げられたといえる。そう、テキスタイルは縫い合わせることでいくらでもスケールアップが可能なのだ。)
皮肉なことに、この原稿を執筆しながら、ふとひとつのことに気がついた。建築は、通常建物の部分や機能が予測できない動きをすることを許さない。なぜならそれは事故や劣化に繋がるからだ。だから生活空間の中で、わたしたちはテキスタイルが予想もできない自然の力に反応しないように、素材の潜在能力を制御しながら使ってきたのではないか。強風に引きちぎられないかという私達の心配をよそに、谷口吉生の名建築の軒下で悠々と空気をはらませ、自由を満喫しているように見える《ビッグパステルドローイング》は、テキスタイルの潜在力を確かに見せつけていた。
森美術館開設準備室、水戸芸術館現代美術センター学芸員を経て現職。香港のテキスタイル産業遺産と現代アート、デザイン、クラフトをつなげるアートセンターCHAT開設のため2016年に香港に移住。現職ではCHATの特別企画やコレクション、教育プログラムほか、香港および国内外の美術館との連携事業の指揮を執る。
これまでの主な国内外の企画として、水戸芸術館現代美術センターでは「Beuysin Japan: ボイスがいた8日間」(2009)、「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」(2011)、「高嶺格のクールジャパン」(2012)、CHATでは「Unfolding: Fabric of Our Life」(2 019)、「Sud? Reiko: Making NUNO Textiles」(2019)、「YeeI - Lann: Until We Hug Again(」2021)、「Jakkai Siributr: Everybody Wanna be Happy」などの展覧会を手掛ける。
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