ビジネス界はこの数年で大きく変わりました。産業革命以降の経済合理性の中で、いつの間にか我々の人生も経済を潤滑に回すための歯車となり、社会的な目標を達成するための集いであった企業も、その活動を継続する一つの手段でしかないはずだったお金そのものを目的とするようになっていました。ウォール街は「Greed is good(強欲は善)」と、巨大なゲーム内でお金を回すことこそが正義かのように言われたのが一つのピークでしたが、転換が始まってきています。「お金より大事なものがある」ことは古今東西皆が言っていましたが、デジタルで人と世界とのつながりが可視化されることにより、ここ数年、その転換はようやく本格的なフェーズを迎えました。
未来は我々の行動が相互に繋がりあうことによって形成されています。これまではそれを実感しにくかったのですが、デジタルにより多元的な価値が可視化されることによって実感できるようになりました。さまざまな価値を実感することではじめて、人々の共鳴が生まれ、多元的な未来の軸に向けて行動することができます。そして、価値を可視化して社会をドライブすることこそ、私が携わるデータサイエンスのひとつの役割と考えています。
「共鳴社会」とは、多元的な価値を人々が共創していく社会です。その共鳴社会におけるひとつの考え方が「Better Co-Being」です。「Better=より良く」「Co-Being=共に生きる」、幸せだったとしても独りよがりでは持続可能にはならないし、現在軸上だけを見ていても社会の事情ともなかなか折り合わないし、繋がってはいきません。未来の視点から互いがどこに進むことがよいのか、どう響き合いながら生きていくのか、どのような未来をつくっていくのかを考えながら1歩踏み出していくことによって共鳴する社会へと向かえるのではないかと考えています。
その例のひとつが自動車産業のカーボンニュートラルでしょう。それぞれの工程で二酸化炭素をどれぐらい排出しているかがデータで示され、しっかり評価されるようになり、その貢献度が強く問われるようになりました。ファッション産業では工程の環境負荷が可視化されたことによりフランス政府が規制をしていく流れになり、途上国への人権侵害などの視点から労働力や資源調達に目が向けられて不買運動などにつながりました。
「世界は繋がって互いに影響を及ぼしあっている」ということが一部の知識層の共同幻想というだけではなく、多くの人たちにとって実感を伴ったリアリティとして認識されるようになったことで、実体経済そのものに大きな影響を与えるようになってきたのです。これは資本主義そのものが悪なのかという話ではありません。経済という重要な手段のなかで、どういう未来を実現していくのかが大切だということであり、経済という手段を使うこと自体が悪になるかどうかは結果次第なのです。
では、どこに向けて共鳴するのかと言えば、それもまた多様です。環境や地球、労働環境における人権、平和、命。あるいはチャットGPT、生成AIによって根本的に変わろうとしている教育、学ぶこと、働くこともあります。一方では文化的な体系もまた重要な価値になるだろうと思われます。食も未来につながる軸のひとつですし、コミュニティもそうです。かつてスマートシティと言われていたものは経済的合理性を回すためのスマートさでしたが、これからはさまざまなバランスの中で人が生きること、住むことをもまた考えなければならなくなっています。
たとえば医療はこれまで医師や医療事業者だけが関わる聖域のようなところもありましたが、さまざまなデジタルツールによって人々の情報が可視化されていくと、病気になる以前、あるいは病後も含め生きることすべてを支えていくということが可能になります。医療からヘルスケアに広げることにより、今度はそこで集めた情報をモビリティへ、さらにコミュニティにもつなげていくことができます。生成されるデータによって新しい価値がつくられていくというわけです。
また近年、建築という概念には記憶や時間、地球、哲学、アート、文化と人をつなぎ、世界をつなぐ場をつくり、体験をつくるものという方向にシフトしてきています。建築の分野自身もこれまでのように工業化された縦割り構造の中で各部門が各々担うというよりは、つながりのなかで新たなものをつくるフェーズに入ってきたように思います。DXという新しい技術のなかで生まれたつながりによって各分野が融合しながら産業構造すらも溶かしていく状況にあると言えるでしょう。
アートの分野でもそうした流れは起きています。たとえば艾未未(アイ・ウェイウェイ)やオラファー・エリアソンのように、アートの役割とは人と新しい概念のなかで未来を繋ぐことだと定義するアーティストも出てきました。森美術館では2023年の展覧会で「現代アートは環境危機にどう向き合うのか?」と投げかけました。もちろん印象派やロダン、『枕草子』で描かれた普遍的な美しさや感性を未来に向かうひとつの力とするのもまたアートの力だと思いますが、未来に向けてどういう問いを立てるのかもまたアートであり、重要なことなのです。
工芸も新しいフェーズに入っているように思われます。工芸は地域の歴史や技術、地域間の物理的な近接性によって生まれた特徴がひとつの魅力にもなっていました。それが100年前にバウハウスにより定義されたモダニズムの合理性によって手間や歴史、記憶といったものが入りにくくなったこと、さらにグローバル経済の大量消費大量生産の枠組みのなかでその独自性が効率性や平均化とぶつかるが故に軽んじられてきた部分がありましたが、世界中とつながることによって新たな価値を創生しつつあるように思われます。大量消費大量生産時代には制約となった独自性やそこに内包されている記憶、文化的な部分がむしろ強みになってくるように思われます。
ここから先は多様な豊かさ、画一的でない多様な美しさや幸せや喜びをいかに一緒につくっていけるかが重要になってくると思います。またそうした多様なものを実感するためにも、これからはよりさまざまなランドスケープや空間体験がより重視されていくのではないかとも思います。
都市も、ここから先は多様な価値軸をもつ視点と多様なバランスのなかで未来につなげていくものではないかと思います。都市や社会は将来世代と現在世代のバランスと、それぞれに地域のもつ特性や個性があり、さらに外側との接続も含めて環境によってつくられているものであって画一的なものではありません。たとえば、比較的小規模な都市は地域のもつ特性をつないでインパクトとして用いながら、東京のような大都市は既にある多様なコミュニティや感度の高い人をつなげることにより、新しい流れを生める可能性があります。平均的なものというよりはある種の文化や特徴を持ったコミュニティづくりというところがこれからは重要な特性のひとつになると考えられます。
「多様性」はこれまでも理想論としてはあったものの、現実的ではないと斬り捨てられていました。しかし、データや新しいAI技術によってつながりをつくることが大きなコストを要しなくなったことで、多様性に配慮しながら社会をつくる可能性が生まれています。多様で個性のある価値がよりしっかりと多様な人たちに伝わるようになることで、地域の自然や土地により異なる魅力をもつ食も、未来につながる問いの立て方としてのアートも、記憶や文化を紡ぐ工芸も非常に大事になるのではないかと思います。
「Better Co-Being」、最大多様・最大幸福に向け、多様な価値観を持つ人たちが未来に向けて一体何ができるのかという視点から、私もまたデータ・サイエンティストとして日々実践に取り組んでいます。
1978年生まれ。2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同分野保健学博士(論文)。 早稲田大学人間科学学術院助手、東京大学大学院医学系研究科 医療品質評価学講座助教を経て、09年4月東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座 准教授、14年4月同教授に就任(15年5月から非常勤)。15年5月から慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授、20年12月から大阪大学医学部 招へい教授に就任。25年日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー。Co-Innovation University(仮称)学長候補。 データサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をよりよくするための研究活動を行う。