一般社団法人 日本建築美術工芸協会

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OPINIONS:共鳴[4]
多様化する社会をつなぐ、対話を生む空間とコンテンツの創出を
平田オリザ | 劇作家、演出家、芸術文化観光専門職大学学長
近年、コミュニケーション力を育むメソッドとして注目されている演劇教育。長年にわたって劇団を率い、演劇を軸に独自のコミュニケーション論を展開してきた平田氏はそのリーダー的存在となっています。氏が志向するのは、演劇による「エンパシー(empathy)」の育成。多様化する現代社会で必要な「合意形成能力(折り合いをつける力)」を育むとともに、個々がみな役割を担う演劇創作活動によって自己肯定感や自己有用感を伸ばすこと。演劇教育を軸に、地域社会の創生に尽力する氏の考える「共鳴」の在り方について伺いました。
異なる他者を理解する力、「エンパシー」

「シンパシー(sympathy)からエンパシー(empathy)へ」。「同情から共感へ」、あるいは「同一性から共有性へ」。これはずっと私が言い続けていることです。シンパシーは自然に湧き出てくる『かわいそう』といった感情です。かわいそうな人がいると「ああ、かわいそうだな」と心から思う同情心です。

対して「エンパシー」は他者を理解する「共感する力」です。異なる価値観や異なる文化的背景を持った人が「なんでそんなことをしたのか」を理解する能力や技術、態度を指します。

日本語には「エンパシー」にあたる言葉はありませんが、私としてはこれを「共鳴」や「共感」と言っても良いと考えています。ただ日本語では「私も共感します」と言うと同意しているように受け取られがちですが、エンパシーは「同意はしないけれど理解に努める」「私はそうしないけれど、あなたがそうしたい気持ちはわかる」というものです。「同じになるわけではない」のが大事なのです。

そもそも、「同意はしないが理解に努める」というのは日本人に限らず誰にとっても難しい感情です。人は自分と異なるものに対してはどうしても否定しがちになりますから。そこを一歩踏みとどまって行うものが「対話」です。

「シンパシー/エンパシー」は「会話/対話」とほとんどパラレルな関係にあります。会話は親しい人同士のおしゃべりのように自然に生まれてきますし、察し合うこともできる。しかし対話は異なる価値観を持った人がすり合わせるわけですから説明することが前提になります。たとえよく知っている人同士であっても価値観が異なった時には対話が起こります。

「会話/対話」のもう一つの大きな違いが、会話は家庭などで自然に身につくものですが、対話の力は訓練しないと身につかないということです。学校で学ぶべきコミュニケーション力は「対話力」だと私は考えていますし、企業などで行われているアンガーマネジメントもその一例だと言えます。

演劇ワークショップの様子。平田氏は長年にわたり、演劇的な手法を採り入れた「コミュニケーションに向き合う」ワークショップを実施している(写真提供:豊岡市民プラザ)
多様化する時代で求められる「対話」の精神

要するに、対話をすること。次に大事なのが「とりあえず結論を出す」ことです。

これまでの日本の価値観からすれば「とりあえず」は序列が低いものとされてきました。学校教育でもとことん話し合うことが大切だとされていましたし、青春ドラマでも「一晩、徹夜で語り明かそう」という場面はよくありました。しかし、それができたのは、日本が同じ生活習慣や価値観を持っている極めて限られたハイコンテクストな社会だったからです。言葉で多くを説明しなくても互いに理解し合える、察し合える社会で、とことん話せばどうにかなってきたし、どうにかなると思っている人たちが多かった。でも、もはやそうではない、日本でも個人の価値観はどんどん多様化しているのですから。

ですから「とりあえず」が大事なのです。たとえばパレスチナとイスラエルの問題は、誰もが恒久平和が最善だと思ってはいるものの、今の時点でそれが実現できると思っている人はいないし、今の時点で望んでいるのは一時停戦、とりあえず戦争をやめることですよね。たとえば、どれだけ話し合ったところで、イスラム教徒はキリスト教徒にはならないし、キリスト教徒をイスラム教徒に改宗することはできません。

ならばどうするのか。
とりあえず結論を出し、残りの課題は明日考えようというのが対話であり、対話の精神です。

ここでポイントとなるのがディベートと対話の違いです。AとBが戦ってAが勝ったとします。ディベートではBはAに変わりますが、Aはそのまま変わりません。しかし対話ではAもBも変わってCという新しい結論を導き出すことが前提です。ただし宗教やイデオロギーのように強いものを持ち込むと対話は成立しないので、そこはいったん保留にしながら現実を見る、現象だけを扱うことが大事になってきます。

異なる他者の共鳴に欠かせない「場」

ところで、対話を生むには大事なポイントがあります。「空間の共有」です。対話の最大のルールは「席を立たない」こと。異なる他者が一つの空間に共存する、あるいは空間を共有することではじめて対話は成立します。

ところが、インターネットが急速に普及し、スマホが登場し、さらにコロナ禍があって、個別化・分断化が急激に進んでしまいました。要はひとりで家に閉じこもっていても退屈しない社会になってしまいました。その状況でどうやって「共有する場」をつくるのか、どのように人が集まるのか。今日の文脈で言えば共鳴する場所、あるいは共有地を創出することは大きな問題なのです。

建築家の槇文彦さんは渋谷区の代官山ヒルズで低層を組み合わせて意図的にコモンズ=共有地をつくろうと試みました。槇さんは、共有地はお饅頭の餡子(あんこ)のようなものだとおっしゃっていました。道路側は建物が建っているから外からはよくわからないが、一歩踏み込むとそこには共有地(餡子)があって、子どもたちが安心して遊べる場所になっている、そうした路地裏的共有地が東京の魅力だったのだ、とおっしゃいました。

しかし、どんどんタワーマンションが建つ東京ではエレベーター内では「声がけ禁止」というところも多く、低層階が商業施設だとセキュリティの問題で分断しなければいけなくなっています。一方、地方は車社会で、車が乗り入れられない分譲住宅はあり得ないので路地裏自体がなくなっています。いずれにしても共有・共鳴できる場がなくなり、なかなか交流が生みだせない状況になっています。

街のなかに「居場所」をつくる

かつて、地域社会には人が集まる仕掛けが元々ありましたし、かろうじて残っているところもあります。私は今朝もラジオ体操をしに朝6時半に信用金庫の駐車場に子供と一緒に集まりましたが、そういうことが残っている地域はだんだんと特殊なところになってきているのが現状です。

だからこそ、行政の側もアーティストや建築家が総力戦で街づくりの段階から居場所をつくり、コンテンツをつくり込んでいかなければならないし、街全体とどう調和をとっていくかはこれからの建築の課題でもある。それは、私たちアートの課題でもあります。もはやコンテンツと建物が分離していいような時代ではなく、意図的に仕掛けをしていかないといけない時代になっています。これは「鶏が先か卵が先か」のように、場と中身のどっちが先かという問題ではありません。既に多くの地域が建築の段階から中身も議論しながら進めていますし、コミュニティスペースもそういう時代になってきたということだと思います。

実際、これまでも私たちコンテンツをつくる側が建築家の方々と一緒に共有してきた部分もたくさんありますが、特に都市においては場とコンテンツはセットで、人がそこに集まってくる多様なコンテンツがないと、建物も機能しない時代になりました。特に一気に人数を集めるようなコンテンツよりも、バラバラに少しずつ集めるようなコンテンツで、より高いクオリティを持つ仕掛けが重要になってくるように思います。

たとえば子ども食堂に工芸体験をつけるならば、そこに一人、美大出身の工芸家や美術家に入ってもらうことで格段にクオリティが上がり、その体験が子どもたちの中に非認知スキルや身体的文化資本として残っていくことになります。

肝要なのは芸術文化のコンテンツ

コンテンツの重要性は観光産業という観点からもどんどん増しています。インバウンドが成長している現在、観光産業は日本の数少ない「伸びしろ」であることは間違いありません。でも、伸びるためには何度も来たくなるような仕掛けがどうしても必要になってきます。

そこで重要になってくるのが芸術やスポーツ、食などの文化観光です。ところが、日本は芸術文化のコンテンツが特に弱い。たとえばブロードウェイのように家族で楽しめるミュージカル、初老のご夫婦がカクテルを飲みながらジャズを楽しめるお店といったものもどんどん増やしていかなければならないし、地域のコンテンツでは工芸はとても大きな日本の強みになるはずです。

いま、姫路では皮革業者の方々がアーティスト・イン・レジデンスの施設をつくり、美術家と陶芸家を招聘して革とのコラボをしているそうです。私が住んでいる豊岡市は鞄づくりがコンテンツのひとつになっています。沖縄の焼き物の街・壺屋通りではシーサーづくりの体験ができます。

いずれにせよ場やコンテンツをつくりあげるには、点と点を繋ぐ企画力が必要になってきます。そして、誰が選んで、誰が企画するのかがたいへん大事です。どこかに丸投げするのではなく、ちゃんと人で選ぶこと、芸術監督もパブリックスペースのプロデューサーもちゃんと企画できる人を置くことが大事です。そのためには行政自身にも考える力が必要です。

今やその力はアーティスト側にも必要とされています。残念ながらアーティストがそういう訓練や経験をする機会が今の日本にはほとんどありませんが、ヨーロッパの場合は有能なアーティストほど早い段階にそこで淘汰されていきます。おそらく日本もだんだんとそうなっていくのではないかと思います。

もちろん、全部のアーティストがそうならなければいけないというわけではありませんが、少なくともこれからのアーティストには自分の作品を説明できる力や、自分を生かしてくれるプロデューサーを見つける力が必要になってくると思います。

私自身は人口75,000人の土地に住み、大学をつくり、演劇祭をやりながら成功例を積み重ねることで、なんとか小さな風穴を開けたいと考えています。日本が少しでも風通しのいい国になるように。

平田 オリザ(ひらた おりざ)
1962年東京生まれ。劇作家・演出家・青年団主宰。95年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。11年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。19年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。2021年から芸術文化観光専門職大学初代学長。

芸術文化観光専門職大学について
平田氏が初代学長を務める兵庫県北・但馬に位置する芸術文化観光専門職大学は、「地域での学びが世界につながる」というメッセージの下、芸術文化と観光の二つの視点から地域活性化を担う人材の育成を目指す教育機関です。その教育の大きな軸となっているのが演劇教育です。異なる価値観の間をつなぐ「対話的コミュニケーション」の育成を、演劇というメソッドや、シェアハウス方式の寮生活(1年次)、授業の3分の1を民間企業から自治体まで幅広く現場を体験するフィールドワークに充てた授業体系などにより、地域から世界まで幅広く活躍できる人材育成を目指しています。