一般社団法人 日本建築美術工芸協会

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OPINIONS:共鳴[6]
かなうはよし、かないたがるはあしし
熊倉功夫 | MIHO MUSEUM(ミホミュージアム) 館長、国立民族学博物館 名誉教授

かつて東京オリンピックの開催が決定される会議の折、「おもてなし」という日本語が披露され話題になった。その時、日本のおもてなしの例として、マスコミで流された映像は、例えば新幹線の車内の清掃がいかに敏速で徹底しているか、というようなサービスのすばらしさに注目するものが多かった。しかし日本のもてなしとは、一方的なサービスとは全く異質なもので、相互にもてなし合う、いわば共鳴するところに特質がある。その心の動きを、茶の湯では「かなう」と表現した。
 17世紀の末に執筆された『南方録』の中に千利休の言葉として「かなうはよし、かないたがるはあしし」という茶の湯の心得が記されている。茶の湯は茶会を開く亭主と招かれる客との共同作業といえる。亭主は茶の湯の趣向を工夫し、誠意を尽くして客をもてなす。客は亭主の心を理解し、そのもてなしにこたえる。互いに心を通わせることで互いの心が満たされる。それが「かなう」ということであろう。言わず語らずのうちに、互いに相手をもてなしているのである。

 もてなしの心を湯木貞一(1901-97)が語っている。湯木は日本料理の近代化に偉大な功績を残した天才料理人であるが、その料理は茶の湯から学ぶところが大きかったという。映画「日本料理ともてなしの心湯木貞一の世界」(1996年、岩波映画製作所)の中での湯木の語りを文字におこしてみよう。話しは、亭主の茶人(浜本宗俊)が湯木を迎えての挨拶からはじまる。

「ええとき、きてくれはった」。こっちはまた「ええとき来たもんだすな」
「いやあそない言うて来てくれはっても、お口に合うかしらん、ご馳走食べてほしい」。いっぱいよばれて、ほんで、何や、帰り道。「帰ります」言うて、ほなら手洗いに入っている間に、霰雪がバァーッと、雪がふって来た。ほなら、玄関につってある旅笠をはずして、私が手洗いにいっている間にはずして、四ツ目垣にそれを掛けた。風情はそこにありますねん。そこで、私は手洗い使うて、ほして、あの出て、そして、靴はいて、玄関まで二間も無いんです。入り口から玄関まで。その垣根に旅笠が掛けられて、パラパラーと雪がこう霰雪がふり、「はあ、雪がふってきたな」と、その気がこれ、風流というか、茶というか。本当に、ああ雪がふって来たなあ、雪の道を、まあ、ほんまは笠ささんけど、笠さして行く風情をうました茶、茶の道です。お茶があればこそ、何もそんな下駄歩かれしません。ただ風流の道ですわ。日本の茶の道の一つの演出です。

 こう語るうちに湯木の眼は輝き、顔に紅がさし、あの優美な長い指が舞い、机をたたく。
 この湯木のかたりには若干の解説が必要であろう。4時間にも及ぶ茶会は無事に終わり客は座を立って帰途につこうとしていた。湯木はその前に用を足そうとして手洗いに行った。手洗いは母屋と別棟だったようだ。湯木が用を足していると急に天候が変わって霰(あられ)まじりの雨が降りだした。霰が「バァーッ」と手洗いの屋根を打つのを聞きながら湯木は、それを面白いと思ったのであろう。京都ではよく初冬の天気で時雨(しぐれ)るということがある。薄日がさしているかと思うと急に雲が厚くなって雨が降り出す。霰になることもある。それが少しすると止んで、また薄日がさしてくる。その陽光に照らされて木枝に残った紅葉がキラキラ光る。まことに美しい風情である。湯木もそんな景色を脳裏に描いたのであるまいか。
 手洗いを出て母屋の玄関に向かおうとした湯木の目に入ったのは垣根に掛けられた露地笠であった。茶の湯の露地では柄のついた傘は使わない。露地笠という幅広の旅笠を使うのだが、さっきまでなかった笠を、霰が降り出したとたんに垣に掛けた亭主の手際がみごとだったのである。突然の時雨を、笠を出してわびの風情を演出した亭主の心が「風流の道」と湯木をして感嘆せしめたのである。また感嘆する湯木をみて亭主は心の底から嬉しかったに違いない。互いに心がかなった瞬間であった。
 ここには深く日本の「間の文化」がかかわっている。間の文化には、時、処、位の文化で、時間的な間と空間的な間、さらに相互の立ち位置から生まれる位の間の3つの面があろう。霰が降り出し、間髪入れずに笠を出したタイミングは時間的な間にはまったみごとさである。手洗いを出た折にそっと掛けられている笠は、決して押付けがましく差し出されたものではない。目に入るか入らないかの距離をおいて掛けられている。風流を解さない客であれば、笠が掛かっていることを見逃してしまうかもしれない。これは空間的な間である。一番大切なことは亭主と客という位の間である。亭主という立場にあればこそ笠が出せる。それほど歩く距離でもない。時雨であるからすぐ止むことがわかっている。だから笠をださなくとも亭主の失態ではない。実用的な意味で湯木は亭主の親切に感動したのではなく、笠を出すことで雪道を帰るわび人の風情を演出したところに感動したのであろう。これは亭主と客という位の違いがあればこそ表現できる心である。これが『南方録』の「かなう」ということである。
 『南方録』はそれに続けて「かないたがるはあしし」という。得道の客と亭主であれば、自然とこころよくことが進むのだが、未熟なものがお互いにかなおうとすると、とんでもない過ちをお互いにおかすことになる、と警告する。先の亭主と客の湯木は、まさに得道の人であった。そうであればこそ、露地笠一つの扱いで、一生心に残る風情を感じることができたのである。しかし、一つ間違って迎合しようとすれば、せっかくのもてなしが破綻する。むしろ世間一般の場合ではほとんどが破綻する。かなうということは、なかなかあるものではない。
 最近のアスリートは、オリンピックなどに出場する際の感想を聞かれて「楽しんで来ます」と答える例をしばしば耳にする。一昔であれば「ガンバってきます」と答えたものではなかろうか。楽しんできますという言葉をはじめてきいた時は、いささか違和感をもったが、最近はそれでよいのだと、私自身考えを変えた。ガンバリますと、無理に合わせようとすれば、「かないたがる」ことになるからである。

 千利休の孫に千宗旦(1578-1658)という茶人がいた。この宗旦の息子たちがそれぞれ茶の家をたてて、表千家、裏千家、武者小路千家という、いわゆる三千家の茶が生まれた。宗旦は三千家の祖ともいうべき茶人である。宗旦はどこへも仕官(就職)しなかった。したがって収入もなく貧乏人で通っていたが、彼が作る竹の花入は非常に人気があって、その噂が上聞に達し、時の皇后である東福門院から注文がきたほどであった。
 宗旦は各方面からくる花入の依頼に応じるのに忙しかった。竹屋から花入にするのに適当な太さの長い竹が何本も送られてきて、宗旦の花入作りが始まる。竹のどこを切るか、花入れの窓の部分をどこにあけるか、釘穴はどこにつけるか、墨打ちといって作者が墨で印をつけてその位置を決める。墨打ちを手伝っていた息子の江岑宗左(表千家の四代)がみていると、あまりにも無造作に宗旦が墨を打つので、思わず「竹にはいろいろな表情がありますから、もう少し竹の景色を考えて墨を打ったらいかがでしょう」といった。すると宗旦は「そういうお前に花入を頼んでくる人はいないだろう。私は賞められようと思って竹の花入を作っているのではない。楽しみで作っているのだ。」と答えた(。「覚々斎覚書」)。この心境はすばらしい。これはアスリートが「楽しんできます」という心境に共通するところがあるように思う。
 われわれは何か一つ仕事をすれば賞めてほしいと思う。賞められたいというのはたしかに大切なモチベーションである。しかし賞められたいとばかり思っても結果はそれについてこない。思いは破綻する。それが「かないたがる」ということである。今や世の中は、賞められたい、人に認められたい、という欲望で充満している。過度の承認欲求が犯罪行動にまで人を走らせる事例は日常茶飯事となった。ちょっとこのあたりで「かないたがる」ことにストップをかける必要がありはしないか。
 アスリートは日頃、血を吐くような練習を重ねてきているから「楽しんできます」と自信をもって胸を張って答えられよう。しかしわれわれ平凡な人間はそんな自信はない。だから人に認められようと思って、かないたがる。

 最近私は、自分という存在がからっぽである、と思うようになった。私にはそもそも人に認めてもらうような中身など何もない。そのつど、そのつど、外からの刺激に反応してきただけではないか。からっぽ、すなわち空である。空より出でて空に還る、という禅語がある。生死もまた空。死んでしまえばからっぽにかえる。しかし、からっぽは悪いばかりではない。からっぽであるからこそ、異質なものでも受客できるし、他者にも共鳴できる。かないたがらないから、時としてかなうこともある。それを無心といいかえてもよい。自己を主張するよりも、他者に共鳴する自己が大切であり、それは自己主張よりも相互の関係性に優位をおこうとする心のはたらきである。こうした日本人の心性は今や衰退しつつあるといえよう。しかし、互いに無心になって共鳴する文化が、茶の湯という日本独自の生活文化の中にまだよく生きていることに注意を喚起しておきたい。

熊倉 功夫(くまくら いさお)
1943年東京生まれ。東京教育大学卒業、文学博士。筑波大学教授、国立民族学博物館教授、林原美術館館長、静岡文化芸術大学学長などを歴任。
2020年京都府文化賞特別功労賞、2021年京都市文化功労者受賞、2022年文化庁長官表彰。
著書に『日本料理の歴史』、『茶の湯といけばなの歴史 日本の生活文化』、『後水尾天皇』、『文化としてのマナー』、『現代語訳 南方録』、『茶の湯日和 うんちくに遊ぶ』、『日本人のこころの言葉 千利休』、熊倉功夫著作集全7巻、茶道四祖伝書 等。
専門分野:日本文化史、茶道史。